巨大灯籠に「砂糖商 大阪 伊藤茂七」

お砂糖博®︎の講座で知り合った、友人から一枚の写真を頂きました。

場所は奈良県の春日大社の境内です。

砂糖商?なんだそれ?っとお砂糖博士®︎の好奇心にスイッチが入ってしまい、関連書籍を読んでみました。

「伊藤茂七と大阪砂糖商」 川端正久 著

http://伊藤茂七と大阪砂糖商 https://www.amazon.co.jp/dp/4771029458/ref=cm_sw_r_li_api_glt_i_2BX75PQSX21X0BZVWS1T

まずは本誌記載の紹介文を見てください。

「明治期大阪砂糖商として一世風靡した二代伊藤茂七は、大阪と東京の二製糖会社を合併し、大日本製糖株式会社(日糖)成立の立役者となった。日糖事件に遭遇したが、日本の実業家として成長し、生涯、船場商人道を貫いた。本書は波乱に満ちた伊藤茂七の軌跡を探究し、大阪砂糖商史研究の嚆矢となるものである。」

文章中にある「大阪砂糖商」とは、明治時代に海外から砂糖を輸入し(国産の砂糖も)、販売していた商人の集団のことを言います。

店頭販売の小売ではなく、「問屋や仲買人」といった職種です。

明治、大正と砂糖の消費量が短期間で数倍にも伸びていく中、個人商店で扱っていた砂糖はいわゆる現在の大手製糖会社(例 現在のDM三井製糖HD)が独占権を持つようになります。

伊藤茂七は当時の全国No.1の商業地であった大阪で、これまた規模の大きい砂糖商の代表者の1人であり、一個人商人としては異例ですが、その人柄や経営手腕を買われ、「大日本製糖株式会社」の立ち上げを取りまとめます。そして、生涯で得た利益の中から、世間に恩返しを気持ちから春日神社に寄進し、この巨大灯籠を建立したそうです。

そして、伊藤茂七は大和(現在の奈良県)出身ということで、奈良県の春日神社に寄進しまそた。なぜここに灯籠が立っているのか?ということがわかると思います。

「もうかりまっか?」が挨拶の大阪商人は儲けにガメついイメージでしたが、本書によると当時の大阪商人の気風としては、儲かるのは1人だけでなく、「みんなで儲ける」、儲けたお金は「2割残して、あとはきれいに使う」というのが良しとされていました。

伊藤茂七は砂糖商で、まさに大阪商人の王道をいく人物だったようです。

「商売の心構えとは?」を思わず知ることができ、大変勉強になりました。

さてここからはお砂糖博士®︎の目線からの感想です。

「砂糖が世界商品であり、明治の日本ではどのような価値があったのか?」の実感を得ることができました。

お砂糖上級講座でもお伝えしているように、「砂糖」は世界商品(世界のどこでも商売が成り立つ商品)であり、「砂糖は18世紀の石油」と比喩されるように、世界初の世界商品でした。

明治時代の日本にはまだ普及していなかった「砂糖」は、当時とても高額であり、これから消費量が伸びる「砂糖」に目をつけた伊藤茂吉は「先見の明」があったと言えるでしょう。伊藤茂吉は呉服商をやるか、砂糖商をやるか迷った末、砂糖商を選んだということが書いてあります。

事実、時代の寵児とされた伊藤茂吉は砂糖の商売をして8年で神社の灯籠を寄贈できるほどの莫大な富を得ることができました。

少し前に話題になった「渋沢栄一」も、本書に出てくるこの「大日本製糖株式会社」の設立や明治製糖(現 DM三井製糖HD)の設立にも関わっています。

現在でもでも名を残す商人や商店はは、砂糖をはじめとした世界商品と関わりが深いことが分かりますね。

なんと、渋沢栄一は砂糖との関係が深かったのです。

お砂糖博士®︎としては情報量の少なかった日本の砂糖普及の近代史を伊藤茂七という個人の人生を通じて学ぶことができて大満足でした。

写真を提供していただいた、沖村真先生(歯科医師)、感謝いたします。

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